俺が最後の部屋に到着したのはこの屋敷に入り始めて二時間後の事だった。
あれから俺達は一つ一つ部屋を調べたが何処もかしこも、この館の餌食になった犠牲者達の末路が存在するだけだった。
まるで人形が粘土にめり込んだ様に天井に埋もれた死体、一見すると悪趣味なオブジェにしか見えない壁にはえた散弾銃を構えた腕、その直線状にはその散弾銃に撃たれたのか、壁や床、テーブルに弾の跡とどす黒くすっかり固まった血痕・・・
また、階段には半分階段に飲み込まれた顔と腕が無数に存在した。
一階から二階へと上がり、更に部屋を調べ遂に残すは館の一番奥に存在する部屋のみとなった。
俺は意を決してノブを回しドアを開ける。
やはりそこもあっさりと開いた。
そこは主の部屋なのだろう、部屋には凝った装飾の机、既に本は一冊残らず存在していないが立派な本棚もそこにはあった。
また絨毯も踏み心地でかなりの高級品だという事がわかる。
その広さは今までの部屋の五・六室分はゆうに在るだろう。
空気も今までの部屋と違い、血の臭いも腐臭もしない。
今まで誰かが生活していたかのような空気が流れている。
何よりも一番目を引いたのは、机の真後ろの棚に大きな水晶の置物が存在している。
しかし俺は肌で感じていた。
その水晶から溢れ出す、どす黒い瘴気の様な怨念を・・・
「志貴あの水晶だ。あれが直接の憑依の元だ。恐らく最初はあの水晶が遺産だったんだろう」
「でも、屋敷の相性とも良かったから拡大する様にこの屋敷も影響下に入れたという事ですか?」
「恐らくは・・・いるんだろう!!出て来い!油断させて襲うつもりなんだろうが、もう通用しない事ぐらいはお前にもわかるだろう!!」
鳳明さんの声ががらんとした部屋に響き、その声が消えぬ間に
「くっくっ・・・やはりわかっていたか・・・」
その声と共に、水晶から瘴気が溢れ、それは瞬く間に人の形を取り、姿を現した。
一見すると、江戸時代の浪人風の姿をした男・・・
「貴方がこの館を支配している『凶夜』ですか?」
「その通りだ七夜志貴、我が『空間を支配せり凶夜』だ」
『空間を支配せり凶夜』・・・正確な名は七夜乱蒼と言っただろうか・・・
「くっくっくっ・・・待っていたよ・・・七夜志貴、貴様を・・・」
「?何故・・・」
「我らの復讐の為だ。貴様さえ我らの仲間となれば我らの復讐は程なく完遂できる」
「復讐と言っても・・・七夜はもう滅びた。魂達も鳳明さんを除き貴方達に消されたはず。一体何に復讐を・・・」
「この世の全てだ」
「!!」
「我らを生み出した七夜・・・我らを欲した下らぬ人間共・・・我らを使い捨ての道具の如く扱ったこの世・・・その全てに復讐をするのだ。その為にも七夜志貴!貴様が必要なのだ・・・お前さえ我らの力となれば全て上手くいく。下らぬこの世をすべて破滅させられる。お前達もわかるだろう?ただ七夜から『凶夜』の烙印を押された時より我らはまるで異端の様な目で見られ、我らの力を利用するだけ利用し最後にはごみの様に捨てられ、ようやく楽になれると信じた聖堂の出入りすらも・・・ただ・・・『凶夜の魂』だと言うだけで拒絶された!!!!俺は今でも覚えている。俺を抹殺する際には七夜は無論の事・・・友も兄弟も・・・いや親すらも俺をそこらのガラクタのような目で見て見捨てた事を。そして・・・聖堂からも拒絶された時のあの七夜の魂共の嘲笑う顔を・・・お前達ならわかるだろう!!七夜志貴、七夜鳳明!我らの苦しみを!憎しみを!!怒りを!!!そして・・・そして!我らの悲しみもだ!!」
「・・・確かにわかる、あの孤独感、あの疎外感、苦しさ・・・正直言って耐えられるものじゃあない」
「!鳳明さん!?」
「しかし・・・七夜に復讐するのはお前達の権利かも知れないが、全ての人間に復讐するのはただの八つ当たりじゃあないのか?」
「!!なんだと・・・」
鳳明さんの言葉に俺が続いた。
「いくら、過去に惨過ぎる制裁を受けたと言っても、七夜は十五年前その報いを受けました。いくら『凶夜』が七夜に全てを否定されたとしても、それを理由に未来の人たちの現在を否定する権利は無いのではないのですか?そんなのは・・・それこそあんた達の甘ったれた思い上がりじゃあないのかい?」
その言葉と共に俺は眼鏡を取ると今まで『遠野志貴』を基本としていた『七夜志貴』の顔を、『殺人貴・七夜志貴』の仮面で覆いかぶした。
「・・・そうか・・・やはりお前たちは我らとは違うな・・・所詮、あの苦しみを知らぬ『凶夜』もどき共が・・・よくもまあ、ほざきよって・・・よかろう・・・ならば貴様らを抹殺してやる!!そして七夜志貴!!貴様のその体を我らが復讐の礎としてやる!!」
その瞬間、部屋の空気が一変した。
部屋全体が殺意を俺達目掛けて吹き付けてきたのだ。
と、突然、アメーバ状になった壁が左右から噴出され、俺を左右から飲み込もうと迫ってきた。
「芸のない・・・」
俺は焦る事無く『凶断』『凶薙』を瞬時に引き抜くとその壁に突き刺し尚且つ、爆発のイメージを頭に思い浮かべた。
その瞬間、壁は一瞬のうちに鈍い爆発音を発し、吹っ飛んだ。
しかし俺はそのまま後方に飛びすざった。前方の床が波の様に俺の足を浸食しようとしたからだ。
しかし、俺の着地地点までもが蟻地獄のごとく俺を飲み込もうとしていると察して、続けざまに『凶薙』から真紅の雷を吐き出させた。
その反動で俺は危険地帯を回避し、床に転がったが今度は豪勢なシャンデリア付きの天井が急降下してきた。
咄嗟に俺は『凶薙』をかざすと竜の暴れ狂うイメージを浮かべた。
途端、刀から妖力で具現化された竜が天井もろとも貫き、天に昇っていく・・・
そして起き上がりざまに『凶断』に機関銃の乱射をイメージすると、紅い弾丸が遺産の大本の水晶と乱蒼目掛けて撃ち出される。
が、周辺の床・壁・天井が守る様に壁を造り出し、一発も進入を許さない。
だが、奴の表情に焦りが浮かんでいる。
当然だろう、この空間を使った連続奇襲法がことごとく失敗したのだ、焦るだろう。
「観念しろ。あんたの能力じゃあ俺は殺せない・・・」
俺が静かに『凶断』・『凶薙』を構え、更なる攻めの体制に移ろうとした時
「あーーーーーーっ!!!しーーーーきーーーーー!!」
「ぶっ!!」
後ろから響いた能天気極まりない大声に体勢を大きく仰け反らせてしまった。
あわてて後ろを振り向くと、ドアのあった場所から入り口付近の景色が見えている。
そこには、
「ア・ア・アルクェイドーーーーー!この馬鹿女!!どうしてこんな所にいやがる!!」
「むぅーーー志貴!せっかくの再会にいきなり馬鹿女は無いでしょう!志貴を追っかけてきたのに!」
「そうですよ七夜君!」
「げっ、せ、先輩・・・と言う事は」
「あら兄さん私達がいてはそんなに迷惑かしら?」
「志貴様・・・」
「あははー、志貴さん、私もいますよー」
「・・・・」
俺は思わず、ここがどこかすらも忘れ『殺人貴』の仮面を捨てて、俺に笑っていない笑顔を向けている六人に冷や汗をたらたら流していた。
「さて兄さん、さっさとそこからこちらに来て下さい。聞きたい事が山ほどありますから」
「来ないならこっちから行きますよ」
「い・いやーーそれが今ちょっと立て込んで・・・」
「そんな事、関係ありません早くお戻り下さい」
秋葉の奴俺の言葉を完全無視してやがる。
「だーーかーーら!おれは今仕事中だと・・・」
「あら、そのような見え透いた芝居に騙されるとでも思いまして?」
「どうせ志貴の自作自演なんでしょう?」
「志貴さん、急いで来ないとお仕置きしちゃいますよー」
「くっくっくっ・・・素晴らしい・・・素晴らしいぞ。七夜志貴」
「!」
俺はその声にすばやく意識を戻すと、再び乱蒼と向かい合う。後ろから皆が何か言っているがもう耳に入っていない。
「何がおかしい?覚悟を決めたか?」
「いやいや、貴様には心底感嘆を禁じえない。その実力正に七夜最強と言っても差し支えない。しかし覚悟は決めてはおらぬ」
「何を抜かしてやがる。もう貴様の奇襲戦法は通用しない事は実証されているぞ」
「くくくっ・・・・我の能力がこれだけだと思ったか?」
「なに?」
「考えても見ろ、我の能力では魂魄まで消滅させる事は不可能だと言う事は貴様もわかっていよう」
「!・・・」
奴の指摘されて初めて気が付いた。
奴の力は生身の肉体には極めて驚異的な能力だろう。
しかし、あくまでも肉体に対してだ。
もし七夜の魂魄に攻められればひとたまりも無い。
鳳明さんも言っていた筈だ。
『七夜の歴代の魂魄は遺産達に消滅させられた』と・・・
では奴にはまだ別の能力があると言うのか?
「ふふっ貴様にも見せてやろう。我の真の力を・・・」
そう言うと瞳を閉じ、手を握り締め全身に力を込めている様だった。
その気になれば踏み込み遺産を破壊できた。
しかし七夜の本能が俺にそれを躊躇わせていた。
"一歩でも踏み込めばやられる"
それが俺の結論だった。
やがて、乱蒼はかっと眼を見開いた。
その瞬間奴の身体中から瘴気が吹き上げてきた。
そして、それはゆっくりと頭上に集結し形作った。
それは、例えれば小さなブラックホールのようなものだった。
しかしブラックホールには無いものがそれにはあった。
中心には大きな一つ目が紅い瞳を俺に向け、さらにブラックホールの外周部は何時の間にか数え切れない三本指に鉤爪まで付けた触手に変貌し俺にその矛先を向けている。
「なっ・・・」
俺がそれに絶句していると鳳明さんが震える声で
「ま、まさか・・・それは"力の象徴"・・・」
「えっ?なんなんですか!その"力の象徴"と言うのは!」
「・・・志貴『凶夜』の歴史の中でただ一人、『凶夜』の烙印を押された後、七夜に戻された者がいる」
「えっ!!」
「その者は『凶夜』とも違う特殊な能力を持っていた。対象の者の守護霊をその者の力に応じて具現化させる特殊な能力だ。当時の七夜はそれを『力の象徴』と呼んでいた。しかし、その当時は『凶夜』の恐怖が未だ蔓延していた頃でな、七夜は彼を『凶夜』の兆候が見られる前に『凶夜』として抹消したんだ。その直後、過ちを認めた七夜は彼を『凶夜』から七夜に戻した・・・」
「しかしその時にはすでに遅かったんだよ。彼は『凶夜』として、聖堂からも追放され遺産にもなる事は出来なかった。そこを我らが拾ったのさ。彼は七夜の憎悪を残し消滅していったよ。その際に我ら全ての遺産は彼の"力の象徴"の恩恵を受けたのさ。そしてこれこそが我の"力の象徴"『千の空間を支配したもう千の腕』だ。ちなみにもし貴様が一歩でも動けばこうなっていた」
そう言うと同時に僅か一歩先のありとあらゆる空間からあの触手が現れた。
いくらなんでもこれだけの触手に攻め込まれたら俺もひとたまりも無い。
「さらにこういう事も出来る」
「!!!」
その瞬間前後左右から触手が時間差までつけて襲い掛かってきた。咄嗟に隙間に身を躍らせかわそうとしたが今度は俺の逃げようとする空間にあの触手が現れた。
とっさに俺は魔眼の力を解放すると『凶断』で一本の触手の線を断ち切り脱出したが、今度は床と天井から交互に触手が突き出され俺は慌てて転がる様に壁まで逃げ切ると、『凶薙』から雷を降臨させ触手をまとめて薙ぎ払い同時に壁から離れた。
ほぼ同時だろうか、壁から無数の触手が噴き出される。
どの攻撃も一瞬でも遅れればあの爪が俺をずたずたに引き裂いていただろう。
現に俺の服は爪にやられびりびりに破けている。
しかし、
「志貴―――!!何猿芝居しているのよ!」
「そんな事をして私達が騙されるとでも思っているのですか!!」
「兄さん・・・そんなに地下牢が恋しいのですか・・・」
どうやら分らない人には分らない様だった。
外の皆には俺が一人芝居をしているとしか見えない様だ。
「・・・一つ聞くが、外の人間にはお前は見えていない様だが・・・」
「当然だ、空間の壁を越えて我の姿を直視出来るのは同じ『凶夜』か七夜のみだからな」
「なるほどな、そいつは参考になったよ」
「では死ね」
奴が指を軽く鳴らすと触手が俺目掛けて伸びそして途中で姿を消した。
「・・・まず右に六本・・・0.1秒後に左から四本・・・」
俺は僅かな空気の変化で読み取ると同じく微妙な時間差を付け『凶断』・『凶薙』を振るった。
触手は出て来た所を薙ぎ払われる形となった。
両断された触手は音も無く本体へと戻っていく。
「流石と言うべきか・・・しかし・・・」
切断された触手は本体の内部に引き篭もると同じ量の健在な触手が草が生える様に伸びていく。
その光景に俺は思わず辟易したが外の声にはっとした。
「兄様!!・・・左の方から来ます!!!」
その声に俺は無意識に『凶薙』を振るう。
音もせずに、触手は手首から切り落とされ闇に解けるように消えていく。
「悪い沙貴」
俺は振り向かず・・・いや、振り向けず、沙貴に礼を言った。
全身の神経を総動員してかろうじて行える事だ。
振り向いていたらその瞬間俺は抹殺される事は目に見えている。
しかし・・・このままでは消耗戦だ。
そうなれば相手に圧倒的な利がある。
奴はいまや攻撃の全てを"力の象徴"『千の空間を支配したもう千の腕』に一任している。
おまけにその攻撃法は、先程からの館を使った奇襲戦法よりもさらに際どくなり、尚且つ、武器である触手は無尽蔵に生産され再生されていく。
それに対して俺の方はと言えば今の所は防御こそ完璧だが、ここまで辛辣に攻め込まれれば神経をすり減らされいつか破綻が来る。
そして、その破綻は即座に俺の死に繋がる。
そうなる前に決着をつけないと・・・
そう判断した俺は『凶断』から『ヘビーランス』を具現化させると、当初の目的である遺産の破壊を優先した。
しかし奴は遺産の守りも狡猾だった。
遺産である水晶を貫こうとした瞬間、前後上下左右ありとあらゆる方向から触手が噴き出され槍を攻撃し始めた。
確かに『ヘビーランス』から放出された妖力に吹き飛ばされる触手もあったが、いかんせん数が多過ぎる。
まるで獲物に食らい付くピラニアの様だ、あっと言う間に、『ヘビーランス』は触手の猛攻に消滅してしまった。
「くっ!!」
すかさず『凶薙』を向けると今度は真紅の竜を具現化させた。
しかし結果は同じだった。
いや、『ヘビーランス』よりは数秒だが長く持った。
しかし後もう少しで水晶に届こうと言う時に、『竜帝咆哮』も最期には細い一本の糸になって掻き消えてしまった。
(まずい・・・)
俺は背中に冷たい汗を流さずに入られなかった。
このままでは堂々巡りも良い所だ。
各固撃破では再生の機会を与えてしまう。
危険は最も大きいがあの触手を全て抹消し尚且つ本体に直接攻撃を加えるしか手立ては残されていない。
(あれしかないか・・・・)
アルクェイドも先輩もましてや先生すらも知らない、『凶断』・『凶薙』この二本の最強の具現化能力・・・
そしてその為には奴に全ての触手が俺に攻撃の目を向けてもらわないといけない。
(鳳明さん・・・しばらく俺のやっている事黙って見ていてもらえますか?)
(好きにやれ・・・お前の事だ、そう簡単に諦める気は無いのだろう?)
(無論)
そう相談を交わすと俺は何もかも諦め切った様な声で、
「・・・負けたよ・・・もうお前の好きにしろ」
俺は『凶断』・『凶薙』を鞘にしまい込むと別に構える訳でもなく、ただ突っ立った。
「兄様!!何を仰っているのですか!!」
「くくくくく・・・ようやく観念したか・・・外の奴らにも見せてやる・・・最強の七夜が朽ち果てるざまを!!」
沙貴の悲鳴に重なる様に俺の周囲にあの触手が囲んでしまった。
「な、なによーーーーー!!あの変なの!!」
「七夜君の一人芝居じゃあ、無かったのですか!」
「兄さん!!どういうことですか!!」
「「「志貴様(さん、さま)!!」」」
どうやら外の秋葉達にもあれが見えた様だ。
「ははははは!!!外のお前らもよく見るがいい!!七夜志貴の最期をな!!」
乱蒼の一声と共に俺を包囲していた触手が総攻撃を仕掛けてきた。
「・・・待っていたよ・・・この瞬間を」
俺はそう言うと『凶断』・『凶薙』を瞬間的に抜刀すると二本の刀を頂点に鳥が翼を広げる様に構えた。
脳裏に鳳凰が飛翔するイメージを浮かべて・・・
そこから先の事は志貴と、鳳明以外は何が起こったのか一瞬分らなかっただろう。
ここで少し時間を戻し別の人物の視点で見てみよう。
「兄様!!何を仰っているのですか!!」
志貴兄様の全てを諦めた様な声に私は思わず大声を上げていました。
「兄様、諦めないで!まだ活路はあります!ですから・・・お願いです・・・私を一人に・・・」
『凶夜の遺産』が奇怪な触手を兄様に向けた時、私は半泣きで必死に兄様に呼び掛けました。
しかし兄様の表情に先程までの鋭いものは何処にも無く、痴呆の様にただ触手がご自身を包囲するのを魅入っていました。
兄様・・・どうされたのですか?
このままでは兄様は死んでしまうのですよ!
私を置いて今度はもう二度と会えない遠い所にいかれる気なのですか?
嫌です!!!
私はもう志貴兄様とは離れたく・・・
その時の私には周囲の音は何も聞こえていませんでした。
ただ涙をぼろぼろ零しながら、触手が兄様に襲い掛かろうとする様子を、見ているしかありませんでした。
けれどその瞬間私は確かに見ました。
志貴兄様の瞳に力が再び漲るのを、兄様が『凶断』・『凶薙』と呼ばれている小太刀を抜き大きく腕を伸ばしながら体勢を低くして構えるのを。
そして兄様がこう呟かれたのもはっきりと聞こえました。
「・・・まっていたよ・・・この瞬間を」
その瞬間、兄様が触手に突っ込みました。
紅い光を身に纏って・・・
そして気が付いた時には兄様は『凶夜の遺産』から現れたおぞましい化け物に二本の刀を突き立てていました。
「!!!な・・・・に・・・・?」
"力の象徴"の点に『凶断』・『凶薙』を突き立てられた時乱蒼は呆然と信じられないものを見たかのような声でそう呟いた。
信じられないのだろう、あの量の触手を全て吹き飛ばしここまできた事にも、そして俺が鳳凰と化した事にも。
「き・・・・貴様・・・今のは・・・」
「・・・奥の手さ」
俺はただそう言うと『凶断』を持つ手を離すと、懐からナイフを取り出すと投げナイフの要領でそれを水晶の点に投げ付けた。
「!!さ・・・させぬ・・・」
俺の意図を察した乱蒼は、まさに最後の力を振り絞る様に、最後に残された触手を防衛に向かわせた。
しかし、それもそこまでの様だった。
触手にはもう先程の切れもスピードも無い。
俺の投擲したナイフを弾く事すら・・・いや触れることすら出来ず、あっさりと抜かれ、ナイフは寸分の狂い無く水晶の・・・いや、七夜乱蒼の魂の点を貫いた。
「ぐ・・・ぐぎゃあああああ!!!」
乱蒼は絶叫を上げると膝を折り胸を抑えてのたうち回った。
そして俺を苦しめた"力の象徴"もゆっくりと消えていく。
「・・・ふう・・・危なかった・・・」
「志貴・・・まさかお前、あんなものを会得していたとはな・・・」
俺の体内から出てきた鳳明さんは、俺に心底驚いた表情を浮かべている。
「結構苦労しましたよ。これをマスターするのは。でもいざと言う時は役に立ちます。『直死の魔眼』に匹敵するくらいに最期の奥の手として」
俺は笑いながら『凶断』・『凶薙』を鞘に収め、眼鏡をかける。
「さてと・・・乱蒼さん、悪く思わないで下さい。七夜と『凶夜』の負の遺産は俺の手で終わらせます。それが俺達今を生きる七夜と『凶夜』の罪の償いだと思っていますから・・・」
そう言うと何も躊躇い無くナイフを引き抜いた。
その瞬間、水晶は粉となり消滅した。
しかし乱蒼の体は未だ消えない。
「負の念によって今まで守られていたんだ。完全に消滅するには時間がかかるんだろう・・・志貴行こう、ここに・・・!!」
「ふ・・・ふふふふ・・・くっくっくっ・・・」
突然屋敷全体がゆれ始め、乱蒼は低く乾いた笑いを浮かべた。
「我は・・・た・・・だ・・・ひと・・・り・・・では・・・消えぬ・・・なな・・・や・・・しき・・・ななや・・・ほう・・・めい・・・き・・・ささささ・・・・まららららら・・も・・・・道連れだ!!!!」
そう叫ぶと館がさらに大きく揺れ床・壁・天井にひびが入った。
「志貴!!危険だ!」
聞くまでも無い。
俺は振り返り脱出を試みた。
何時の間にか外の光景は消えている。
おそらく乱蒼の力が急激に消え失せ、ここと外を繋ぐ事も不可能なのだろう。
「にげま・・・げっ!!」
俺は絶句した。
ドアが何かに塞がれている。
咄嗟に線を切ろうとしたが、塞いでいるそれらがこの館に食われた犠牲者達と分かると手を出す事は出来なかった。
止むを得ず壁の線を切り大きな穴を空けて部屋の外に出た。
いや、出ようとしたが、出れなかった。
廊下の状況はこの部屋よりも、もっと酷かった。
壁・天井所構わずひびが入っているのは一緒だが、そのひびからは鮮血が噴き出し、所によっては内臓や骨がはみ出している。
何よりも廊下は完全に陥没して俺の逃げ道を完全に奪っていた。
それは二階の廊下全域で起こったらしく足場はまったく無い。
手づまりか?そう思った時俺の目に壁が入った。
俺は何も躊躇い無く、『凶薙』を鞘から引き抜くと竜を吐き出させた。
竜帝が壁を吹き飛ばすと俺はすばやく『凶薙』を鞘に収め、『凶断』を構えて床を蹴っていた。
脳裏には竜の飛翔をイメージして。
それと同時に俺の今までいた床は崩れ落ちた。
俺を体内に納めた真紅の竜はその穴から館の脱出に成功すると、地面にゆっくりと降り、そしてその姿を消した。
おれは後ろを振り返ると、そこは屋敷の裏手であった。
そして、館は轟音を立て瞬く間に崩壊していく・・・
「『空間を繋げる館』の最期だ」
鳳明さんはそう呟く。
俺が外に脱出して僅か一分経つか経たないかの内に館はただの瓦礫の山と化してしまった。
ふと俺が空を見上げると、白っぽい何かが無数に天に上っていくのが見えた。
「犠牲者たちの魂だろうな・・・最も七夜乱蒼も被害者である事に変わりは無いのだがな・・・」
鳳明さんは少しだけ寂しそうにそう呟いた。
「・・・戻りましょう。沙貴も心配しているでしょうし、何よりも秋葉達に何とて説明しよう・・・」
「ふふっ、それはお前で考えろ」
「そんな〜」
「何事も経験だ」
「もうその経験は要りません。それをやる度に寿命が縮まるんですから・・・」
そんな事を言い合っている内に鳳明さんの表情にも明るいものが戻って来た様だ。
「さあ、いき・・・!!!」
俺が安心して歩き出そうとした時だった。
何かが俺の右足をがっちりと掴んだ。
それも、一歩も歩けないほど強く重い感触が・・・
俺は咄嗟に下を向こうとしたが向かなかった・・・いや向けなかった・・・正確に言えば向きたくなかった。
何か見てはならない禁忌のものを見るような嫌悪感、脊髄を上下するおぞましさ、そして何よりも絶対的な恐怖・・・それらが俺を支配していた。
しかし七夜の本能が機械的に俺を下に向かせた。
「あ・・・あ・・ああああああああ!!!!」
下を向きそれを見た時俺は退魔士として初めて悲鳴を上げていた。
俺の足を掴んでいたもの・・・それは見るも無残な死体だった。
いや正確には死ぬ間際の姿を写した魂だった。
片目は抉り取られ、頭部の一部は破損して脳髄がはみ出し、体中の至る所から骨がはみ出している。
下半身は奇妙な角度にひしゃげていて、腸の一部と思われる内蔵を尻尾の様にぶら下げている。
しかし、何よりもおぞましかったのは・・・この様な状態にもかかわらず・・・
「ふふ・・・ははははは・・・」
それは低く乾き、尚且つ悪意に満ちた笑みを浮かべていた。
「・・・はははは・・・なな・・・やしき・・・礼を言う・・・」
「・・・な・・・に?」
俺はその言葉だけでも酸欠の様な眩暈と頭痛を感じずに入られなかった。
「き・・・さま・・・の・・・おかげで・・・われは・・・神のもとにいける・・・」
神?何を言っているんだ?
「これは・・・われを・・・かみの・・・もと・・・に・・・おくって・・くれた・・・お・おまえ・・・への・・・ささや・・・かな・・・れいだ・・・よ・・・」
その途端まだナイフを持った俺の手が操られる様に動き出した。
はっとしてみると、あの触手が俺の手首を掴み奴のある一点に導こうとしていた。
それは紛れも無く、奴の点が存在する所・・・
「や・・・やめろ・・・」
その気になれば払う事も出来た・・・と思う。
しかし実際には俺は払う事が出来なかった。
絶対的な恐怖に加え、奴の放つ巨大な威圧感に完全に飲まれていた。
「くくく・・・我の愚かなる魂今こそ神の御許に奉げん!!!」
その瞬間点を貫いたにもかかわらず・・・霊体だというのに・・・肉を抉る感覚がナイフ越しに俺の手に伝わった。
「うわわあああああああああああああ!!!!!!」